おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

氷の人形   (20世紀少年 第278回)  

 第9巻の巻末に載っているビッグ・コミック・スピリッツの宣伝文句に、「カンナ戦闘開始 二人の少女の運命は?」とあって、カジノでまだまだ乗り切っていないカンナの不満げな顔と、「この世のものとは思えない、恐ろしい何かを」見た直後の、憔悴したコイズミの顔が並んで描かれている。

 それに続く謳い文句の中に、「運命の二人が交わるとき、地球の未来もまた、大きく動き始める!!」という勇ましい一節があるのだが、運命の二人は最初に廊下で会話も成立しないまま擦れ違ってしまい、ようやく交わった場所は、放課後の保健室という実に地味な環境であった。

 カンナが歴史の授業をさぼって(必須の単位だろうに、落第の心配はないのか)、保健室で読書中のところにコイズミが運び込まれたのだ。放課後まで読書とは、珍さんの店のバイトは休みだろうか。カンナは、コイズミの調査報告によると難しそうな本ばかり読んでいるようだが、どんな本が好きなのかは明らかにされていない。ここでは文庫本を読んでいる。


 その昔、アメリカに住んでいたころ、冷たい感じの美人のことを英語で(少なくともアメリカ英語で)、「ice doll」と呼ぶと聞いた覚えがある。もっとも、ネットで検索してもほとんど出てこないし、辞書にも載っていないので、マイナーなスラングか死語か、または私の勘違いかもしれない。

 ともあれ、この保健室におけるカンナのコイズミに対する態度は、まさにアイス・ドールという表現がぴったりだ。さすがは後年、氷の女王と呼ばれるだけのことはある。コイズミは気絶したのち、そのまま睡眠状態に入ったようで、悪夢を見ているのだろう、つらそうにうなされているのだが、「ちょっと、うるさいんだけど」とカンナに起こされてしまう。気の毒に。


 もっとも、カンナも鬱屈しているに違いない。現代史の授業が気に食わないだけではない。せっかく旗揚げしたものの、ユキジに無茶は駄目だと釘を刺されてしまった。それが単なるユキジ個人の意見ではなく、ケンヂおじちゃんの遺志であることをカンナは知っている。振り上げた拳の置き所がなくなってしまったのだ。

 それに、中国とタイのマフィアが味方になってくれたとしても、彼らにできそうなことといえば、ローマ法王が歌舞伎町に来たときの護衛ぐらいではないか。暗殺計画の全貌が分からないとあっては、それ以外、何をしてよいのかも見当がつかない。


 カンナは、「読書中なの、もうちょっと静かに寝てくれる?」と冷たいのだが、コイズミにとっては渡りに船。「ヨシツネに会ったの」と聞いて、カンナの目の色が変わる。ともだちランドのこと、神様にも会ったこと、本当の話を全て聞いたこと、ドリームナビゲーター高須による洗脳のこと、そして「あいつは殺しにきたのよ、あたしを殺しに」ということなどを必死に訴えるコイズミであった。

 カンナに落ち着いて最初から話してと諭されて、コイズミはバーチャル・アトラクションの中で、少年時代の”ともだち”に会い、そのお面の下の顔を見てしまったことを話す。その顔の持ち主は、コイズミにとっては英語教師、カンナにとってはクラスの新担任であった。


 殺されると怯えている少女を一人、置き去りにするのはどうかなあとも思うが、事情が事情だけに、カンナはコイズミに待っているように伝えて保健室を飛び出してしまう。しかし、先生は職員室にはいなかった。コイズミもコイズミで、言いつけを守らず、荷物を取りに教室まで戻ってしまう。

 そこには不気味な笑いを浮かべて、その先生がお待ちであった。自己紹介は英語教師らしく、「マイネーム イズ 佐田清志」。これがサダキヨの本名か。廊下に茫然と佇み、「サダキヨが”ともだち”?」とつぶやくカンナを残して、僕のおかげで遅くなったから送るというサダキヨの強引さにあっさり負けて、コイズミは自分を殺しに来たはずの男の車のところまで連れて行かれてしまう。


 彼女もさっさと職員室にでも逃げればよいのに、話をそらそうと自動車の話題を出したのが運の尽き、車好きらしいサダキヨが、2000GTだのヨタハチだのと喋り出して、会話に巻き込まれてしもうた。新羽田の公衆電話でヨシツネと話をしてから半日が経過したが、コイズミの長い長い一日は、まだまだこれからが本番である。

 1997年から2000年にかけてが20世紀少年と”ともだち”の戦いにおける前半戦であり、ともだち暦3年が後半戦とすれば、2014年から2015年にかけては、サッカーやアメフトでいえばハーフ・タイムである。作戦会議と休養のための時間帯だ。ある者は心に受けた傷の手当をし、ある者は相手の正体を探ろうとし、ある者はすでに戦闘準備に入っている。その中でコイズミは、いわば狂言回しの役割を演じている。


(この稿おわり)



  

羽田(2012年2月25日撮影)