おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ただいまと誰もいない部屋に言ってみる (20世紀少年 第276回)

 ほとんどの人間は、泥棒や人殺しをしない。それは何故かと議論したら、いろいろな意見が出そうだが、私見では多くの場合、凶悪な犯罪をしてしまったら最後、後悔や自己嫌悪に生涯のたうち回ることが分かっているので、怖くて出来ないからだと思う。

 物覚えが付くか付かないほど幼いうちから、私たちは両親をはじめ周囲の大人や、童話や漫画やテレビに、人を殺したり傷つけたりしてはいけない、人の物を盗んではいけないと厳しく躾けられる。お巡りさんが来て、刑務所に入れられてしまうと脅かされる。悪いことをしようとしても、通常の人間は、そのころ聞いた声が頭の中に蘇る。


 私が通った幼稚園は、かつて寺子屋だったのかもしれないが、なぜかお寺の境内にあって、園長先生はその寺の住職だった。墓地に勝海舟の母だったか姉だったかの墓があった。巨大な石柱だったので、墓石ではなくて石碑だったかもしれない。

 小学生のころ、その墓か碑の前に備えてあった十円玉を盗んだことがある。しかし、間もなく怖くなって返しにいった。突如、良心が目覚めたのではない。「お巡りさんが来て、刑務所に入れられてしまう」のが心配になったのでもない。悪いことをしたこと自体に、小心な子供だった自分が耐え切れなかっただけだと思う。ケンヂ少年は、それほど小心ではなかったのだ。


 ところで、ある種の常習的な犯罪者は、このような恐ろしい声が聞こえてこないらしい。TA(交流分析)で言うところの「P」(親の自我状態)が決定的に欠けている。彼らが考えるのは正邪、善悪の問題ではなくて、この犯罪により損するか得するかという計算である、という記事を新聞で読んだことがある。「犯罪の経済学」という言葉が使われていた。

 すなわち、泥棒を例にとれば、得とは「この犯罪が成功する確率 × この犯罪で得られそうなお金」であり、損とは「警察に捕まり有罪となる確率 × 有罪になったときの刑罰の重さ」と考えてもよかろう。この損得勘定が経済学的だということだ。


 ところが、犯罪によっては、経済学では説明がつかないものもある。典型的な例は、カンナの担当でありコイズミの英語の先生であったエロガッパが捕まった性犯罪ではなかろうか。毎日のように新聞やネットには、盗撮やら痴漢やら下着泥棒で逮捕された役人や警察官や教師や、大企業の従業員などのニュースが出る。

 彼らが得るものの大きさとは、如何ほどのものなのか私には想像がつかないが、失うものの大きさは十分わかる。職を失い収入が絶たれ、親戚友人ご近所との付き合いも廃れて地元にいられなくなり、さらに、自業自得では済まず、家族まで絶望のどん底に突き落とす。どうみても勘定が合わないと思うのだが、現実を前に犯罪の経済学は沈黙せざるを得ないだろう。


 ところで、先述した犯罪の経済学が載っていた新聞記事は、ある凶悪な大量殺人に関連した報道だった。2008年、オバマ大統領が誕生し、秋にはリーマン・ショックに端を発した世界的な不況が始まった年でもあるが、当時、失業中だった私はこの年の6月、自宅のベランダの向こう、南の空に多数のヘリコプターが舞うのを見た。秋葉原で起きた無差別殺人事件の報道陣だった。

 この尋常の沙汰ではない事件を引き起こした男の心中を去来したものは何だったのか。去年の裁判の様子が新聞等で報道されるのを注視してきたのだが、今のことろ彼がなぜこれだけの人の命を奪わなければならなかったのか、さっぱり分からない。


 精神鑑定の結果、判断能力はあるとのことだから、精神医学の領域ではないし、犯罪の経済学でも、もちろん、説明など付きはしない。”ともだち”の犯罪は、「子供の遊び」だったのだが、この事件は一体、何なのか。この男には、個人的には処刑を少し先に延ばしてでも、ご遺族や被害者の方々のため、なぜこんなことをしたのかを説明させなければならないと思う。

 彼がネットに書き残したといわれている文章は、犯行直前の混乱したものを除くと、匿名のネット・ユーザーにしては、かなりまともな表現と内容だと感じた。確か、佐藤優氏も新聞のインタビューで同じようなことを指摘してみえたような覚えがある。


 彼は孤独だったのではないかと思う。経験者ならば身に染みてご承知のことと思うが、親兄弟がいようと友人がいようと、人は孤独に苛まれることがある。孤独は非常につらい。「ただいまと誰もいない部屋に言ってみる」というのも、彼がネットに書き残したとされる一文である。彼の犯罪は断固として許せないが、この淋しさには複雑な気持ちになる。

 コイズミを連れて「ウチ」に戻ったサダキヨは、誰もいない家の中に向かって「お母さん」と叫んだ。コイズミがいなくても、毎日、彼はこんなふうに挨拶したり会話を交わしたりする一人芝居で、孤独を紛らわしていたのではないだろうか。そして、それは限界に達しようとしていたらしい。しかし彼は、「ズル」をするような男ではなかった。


(この稿おわり)


拙宅より、夕暮れの富士山。(2012年2月4日撮影)