おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

カンナの演説について (20世紀少年 第267回)

 国家が自分に何をしてくれるかではなく、自分が国に対して何ができるかを問うべしとケネディー大統領は国民に語りかけた。「私には夢がある」とキング牧師は口火を切った。そしてカンナは、もっと物騒な聴衆相手に、「言っとくけどね、みんなにあげるような金は一銭もないから。」と言い放った。

 案の定、教会内は物と怒号が飛び交う大騒ぎになるのだが、カンナはまず余興でスプーンを曲げ折って見せ、続いて、カジノで自分が大勝したことを思い出させたうえで、あたしと組めば儲かると切り出して、とりあえず下っ端どもの物欲をかきたてることに成功する。

 されど、あたしと組むと死ぬかもしれない(実際、そうなった)と付け加えた途端に、握手させようとした代表者たちも凍りついてしまう。ここはやはり、老チャイポンと王曉鋒の両ボスにご登場願わなければならない。満場、騒然となるが、この二人とカンナはラーメン仲間なのだ。


 第5巻でカンナが両者に休戦協定を結ばせたのは、ケンヂゆかりの七龍ラーメンの味を守るためであったが、もしも、その休戦が成立しなかったら、ボスがこんな物騒な場所に姿を現すはずはない。人間、どんな動機だろうと、世の中のためになることなら取りあえずやっておいて損はないのだな。

 休戦は両者の利害が一致すれば、成立しやすい。これ以上、命も金も失わずに済むのだから。だが、これからカンナが両ボスに訴えねばならない議題は、休戦とは反対方向と行ってもよい、反政府共闘である。薩長同盟みたいなものだ。


 薩摩や長州は、黒船に象徴される欧米先進国の帝国主義の軍事力や征服欲の恐ろしさを身をもって知っていたし、徳川幕府が力不足で時代遅れであることも理解していたのだが、カンナは、”ともだち”の正体と、ローマ法王暗殺計画の両方をマフィアに信じさせなければならないのだから、坂本龍馬より大変なのだ。

 しかも根拠がない。もしあれば、とっくに仁谷神父に示している。神父が最終的にカンナの要望を受け入れたのは、法王に万一のことがあってはいけないという懸念があったし、とりあえずは教会を貸すだけでよいという事情によるものだと思うが、今回それとは話が違う。


 カンナの論理は、読者にはそれなりに分かりやすい。2000年血の大みそかの夜は”ともだち”の自作自演でありながら、巧妙にもケンヂおじちゃんたちがテロリストに仕立て上げられ、世界中から悪者にされた。今回、ローマ法王が暗殺されれば、両マフィアが同じように冤罪を背負うことになり、滅ぼされるであろう。

 しかし、カンナはそもそも何故、ローマ法王の暗殺計画が立てられているのかという点を説明できない。彼女自身が計画の目的や背景を知らないのだから、仕方がないのだ。

 そもそも実際に、”ともだち”が法王暗殺計画を立案したのか否か(本当に殺すつもりだったのかどうか)については、別途、考えるとして、カンナの「暗殺計画がある」という前提が間違いではなさそうだという傍証があることを読者は知っている。マライアさんの目の前で、中国人マフィアが鼻ホクロ巡査に銃殺されたのは、この中国人マフィアが暗殺計画を知ったがためということで間違いあるまい。


 カンナの必死の訴えに、多くの聴衆は賛意を示すのだが、さすがに二人のボスは黙ったまま動かない。尋常な動議ではないのだ。組織の命運に関わる。もしも乱入者が来なかったなら、カンナはこの場では、いったん行き詰ったかもしれない。しかし、二人のメシアが檀上の彼女に向かいつつあった。

 一人は”ともだち”の「きゅうせいしゅ」すなわち鼻ホクロ巡査がショットガンを懐に抱いて、ユキジよりも遥かに巧みに群集をかき分けながら彼女に接近しつつある。もう一人、カンナの守り神は、最短時間で彼女に出会うべく、教会のステンドグラスを目指していた。



(この稿おわり)





玉川用水を開削して江戸の上水道網を充実させた兄弟の墓が近所にあります。
水と安全がタダだと思っているのは、「高度成長後、原発事故以前」の日本人のみ。
(2012年1月22日撮影)