おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

岡本太郎    (20世紀少年 第225回)

 今日は一服します。前回までの書き方でお分かりいただけるかと思うのだが、私はほとんど大阪万博に興味がなかったものの、岡本太郎には関心があるのです。残念ながら岡本太郎の作品を観たことはあまりなくて、3作のみである。川崎に美術館があるらしいが、まだ足を運んでいない。彼の作品は力があり、鑑賞に体力を要するので疲れてしまいそうなのだな。

 3作とは、観た順番でいうと、最初が「太陽の塔」で、次が都庁のレリーフである。私が大学を卒業し、東京にウロウロ出てきたころ、東京都庁はまだ有楽町にあった。1986年に初めて海外に駐在したときも、パスポートは有楽町にもらいにいった。海外から戻って来たときには、新宿に移転していた。跡地に東京国際フォーラムが完成したころには、再び海外。

 この古いほうの有楽町の庁舎に、岡本太郎レリーフが何枚があったらしく、移転後も二三枚はどこかに保管されていて、私は何年か前に偶然それを観ている。ところが、間抜けなことに有楽町だったのか、新宿だったのか、関係ない別の場所だったのか覚えが無い。また観たいのだが...。


 その前後に、原宿あたりで夕食の約束があって、たまたま早く着いたレストランの前に、主に芸術関係の本を売っている感じの良い小さな本屋さんがあったので入った。そこでなぜか目に止まった岡本太郎著「今日の芸術」の文庫本を買って読んだ。私の読書は偏りがあるので、あまり他人様には本を推薦しないのだが、これはお勧め。ぜひ読んでいただきたいです。

 この著書には有名な「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」という宣言がなされていて、書評にはこればかり書かれている。だが、私にとって同書の本質は、太郎さんが、全ての人は芸術家であり、芸術とは生活そのものだと繰り返して述べているところにあると考えている。


 例えば、「だれでも、その本性は芸術家であり、天才なのです。」とか、「芸術こそ他人ごとではなく、自分自身の問題であり、生活自体ということがわかってきます」といった具合で、特に「生活」という言葉が何度も出てくる。小林秀雄も「生活」という言葉を好んだ。私はこの二人の影響を受け、今では「生活」という言葉のほうが、人生とか命とかいった抽象語よりも好ましく感じる。

 それに、読んで驚いたが、彼の文章は非常に論理的で読みやすく、語彙が豊富でレトリックも巧みである。それもそのはず、太郎さんはフランスに滞在して、パリ大学で哲学科に在籍していたと本の解説にある。この在仏期間に、ロバート・キャパと親しかったということは、むかし沢木耕太郎の「キャパ その青春」で読んで知った。キャパの同僚で恋人だったタローは、確か岡本太郎の名を借りたペン・ネーム(?)だったような覚えがある。


 「今日の芸術」を読んで間もなく、岡本太郎の行方不明だった大作がメキシコで見つかったというニュースがあった。現在、JR渋谷駅の連絡通路にある「明日の希望」がそれです。修復作業も無事終わり、日本に届いてからしばらくの間、この絵は清澄白河にある東京都現代美術館に展示されていた。

 私は時間と金を使ってでも観る甲斐はあると信じて出掛けた。期待は裏切られることなく、あまり絵をじっくり観ない私だが、この作品の前には小一時間もいただろうか。激しく暗い絵画だが、左のほうにいかにも太郎さんらしい、柔らかな人の絵が三つ、明日の希望の象徴のように描かれているのが印象的だった。


 彼は今の東京芸大を出ているそうだから、私の現住所の近くを、あの怖い顔で歩き回っていたのだろう。また、先年、亡くなった俳優の池部良とは、血のつながった従兄弟同士である。太郎の父と、良の母は兄妹だった。良さんの母が甥の太郎について語った話が、池部良のエッセイ「風が吹いたら」に出てくる。「太郎ってほんとにいやな子で、私たち叔母さんのお尻を触ったりするのよ」。名文家の親戚を持つものではないな。

 周知のとおり、「明日の希望」は東京電力原子力発電所事故のあとで、いたずらを受けた。幸い作品に傷はなかったそうだ。太郎さんが生きていたら何と云うかという想像は楽しい。私も参加させていだだこう。たぶん、膝を打って「その挑戦、面白い」とでも叫んだような気がする。ただし、出来が悪かったら嚇怒したであろう。


 今は亡き我が近鉄バファロ−ズの球団マークをデザインしたのも岡本太郎である。かつて週刊文春に「読むクスリ」という名コラムがあったが、その取材を受けて太郎さんは、「ちゃんと牛ではなく野牛に見えるようにと苦労しました」と、穏やかなコメントを寄せていた。彼もやっぱり苦労するんだなあというのが、そのときの私の感想だった。

 今でも、ブラウン管の向こうで、「芸術は爆発だ」と断固主張していた太郎さんの声や表情が懐かしい。父は漫画家で祖父は書家、いずれも彼の作風にその要素が含まれていると思うがいかが。


(この稿おわり)


岡本太郎はもちろんピカソの影響を受けている。
パブロ・ピカソ「男と女」
(2011年12月24日撮影、国立西洋美術館にて)