おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

アルカトラズからの脱出     (20世紀少年 第193回)

 1990年代の初めごろ、私はサンフランシスコで働いていた。職場は咸臨丸が辿り着いたサンフランシスコ半島先端部のビジネス街にあり、自宅は南方の国際空港のそばにあった。毎日、サンフランシスコ・ベイを右手に眺めながら、インター・ステート・フリーウェイの101号を車で走って通勤していた。優雅に思われるかもしれないが、仕事が辛くて、それどころではなかった。

 あのあたりからは、湾の中に浮かんでいるアルカトラズ島が見える。かつて、この小さな島の全てが刑務所であった。今では獄こそ閉鎖されているが、島にはフェリーボートで渡ることができる。刑務所跡の観光なんて、よくもまあ金を出してまでやるものだ。もっとも、ここはアル・カポネが収監されていたことで有名である。


 詩人の田村隆一は、隠岐島流罪となった後鳥羽上皇の居住所跡を訪ねている。田村は、島の女がみんな別嬪だし、魚も酒も美味しいし、すっかり隠岐が気に入ってしまい、「隠岐」という痛快なエッセイまで書いて、その中でこう語っている。「だれか、僕を隠岐に流してくれないかな」。

 隠岐には後醍醐天皇も流された。ところが、この人物は離島で凹むようなヤワな性格の持ち主ではなく、脱出して鎌倉政府を滅ぼした。隠岐はその後、京極氏の領地となっている。ところで、アルカトラズからも脱獄者が出た。それを映画化したのが、クリント・イーストウッド主演の「アルカトラズからの脱出」。私が大学生のころの映画です。


 サンフランシスコ湾の水温はとても低い。この湾の開口部に架っている金門橋(ゴールデン・ゲイト・ブリッジ)は、私の駐在当時、自殺が多かった場所だが、話によると墜落の衝撃で死ぬのではなく、海水の冷たさによる心臓発作、凍死・溺死がほとんどであるとのことだった。島と橋はすぐそば。刑務所に適した自然環境だったのだ。

 クリント・イーストウッドは通気口から脱出するのだが、ショーグンと角田氏も最後はトンネルの通気口らしき縦穴から外に出ることに成功する。豊川悦司のオッチョも良かったが、できれば若き日のクリント・イーストウッドに演じてもらいたかったと心より思う。


(この稿おわり)

http://www.nps.gov/pwr/alca/images/ALCA___ALCATRAZ%20AERIAL%20Late%20Military%20Era.jpg  
アメリカ合衆国 内務省国立公園局のサイトより。アルカトラズ島)