第5巻第10話の「チョーチョ」は、「都立新大久保高校」という校門の看板の絵から始まる。ここに呼びだされて男性教師に苦情を申し渡されているのは、この高校の生徒であるカンナの身元引受人であるユキジであった。
おかえり、ユキジ。もう五十代半ばとあって、さすがの彼女も相応に年を取ったが、若かった1997年よりも毅然とした態度と、静かなたたずまいが魅力的である。彼女は血の大みそか以降、どこで何をしていたのだろう。おいおい考えて行きたいが、おそらく分かるまい。民友党にとっては極悪人のはずだが、堂々と都立高校に出入りしているとは。
ユキジが呼ばれた直接の理由は、チョーチョ刑事をぶん殴ったからだが(不起訴になったようだ)、それでなくともカンナは普段から問題児であるらしい。成績は良いとのことなので、父フクベエと母キリコの血を無事、継いだようで、育ての親たるケンヂ叔父の影響は、その点ではほとんどなかった模様。
他方、担任の教師によるとカンナが騒動を起こすのは、決まって血の大みそかに関連することらしいから、こちらはケンヂが原因なのだ。カンナは高校の歴史教育に激しい反発心を抱いている。「彼女に何があったんですか」と尋ねる先生に、ユキジは「それは申し上げられません」と峻拒する。そりゃ、そうだろうな。
第11話の「ふたりの大志」では、ユキジが菓子折らしきものを持参のうえ、カンナが暮らすアパート常盤荘の大家、常盤貴子さんを訪問している。いつも迷惑をかけているお詫びのためだ。不良娘を持つと大変だ。迷惑とは具体的には騒音なのだが、踊れる曲ならともかく、「やかましいだけの変な歌」なのがいけないらしい。
女優の常盤貴子は、映画「20世紀少年」では、大家の常盤貴子の相手のユキジを好演している。浦沢さんは彼女のファンなのだろうか。そうなら私が趣味が合うが。ともあれ大家さんは「こう見えても、あたしゃ昔、ディスコじゃけっこう、ならしたほうでね」と意外な過去を明らかにしている。
ユキジは「ディスコ...」とつぶやいて、たじろいでいるが、彼女は私の1学年上なのだから、高校生のころ大ヒットした「サタデー・ナイト・フィーバー」と、それに続くディスコの大流行を知らないはずはあるまい。目の前の女の風采と、自分の思い出に相当の乖離があったらしい。
ディスコも今ではクラブと呼ぶらしいが、歴史的にはディスコ・ティックが正しい。横浜銀蠅は、キワモノバンドという印象が強いかもしれないが、彼らのデビュー・シングル、「横須賀Baby」は短調のメロディーが美しい佳曲であった。ふたり通ったディスコ・ティック「サンタナ」。私ですら、六本木のロア・ビルとやらに何回か行ったような時代があった。
思えば、我々の十代後半に流行ったものといえば、ディスコ、インベーダー・ゲーム、カラオケ、マンザイ・ブーム、サザン・オールスターズの意味がわかりづらい歌詞....。
これらに子供のころ親しんだアニメとマンガを加えれば、最近の若者や子供が夢中になっているものの原型が勢ぞろいしている。道理で親としても教師としても、子供を厳しく躾けようにも迫力不足な訳だ。
「二階のあの娘がかけている曲はだめだね」と、ケンヂのバンドは不評である。ユキジと話をしながら、大家さんはタコを叩き続けているのだが、この行為の意味は不明である。本当に、よく叩くとタコは柔らかくなるのか? そもそも柔らかなタコは美味しいのか?
ニ階の娘もよく叩いておかないと食えないコになるよと、常盤荘の大家さんはユキジに忠告するのだが、やや時期を逸した観がある。ともあれ次に、カンナとチョーチョの出会い、何だか「花と蝶」という演歌の題名を彷彿させるが、いわば第二世代として活躍する二人の会話を聞こう。
(この稿おわり)
ご近所の暖簾(2011年11月20日撮影)