おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

放射能マーク     (20世紀少年 第176回)

 2011年の大みそか、巨大ロボットを追いかけて、マルオが運転するトラックが甲州街道を走る。車内の二人は、第四中学校の放送室の話を終え、怖くて仕方がないと語るマルオに、ケンヂがヤン坊マー坊から秘密基地を守ろうとした話を持ち出して、おまえは臆病なんかじゃないと諭している。逃げ足が遅かっただけだよとマルオは苦笑い。

 そのころ、政府の国家危機管理委員会とやらには、テロの被害報告が続々と集まりつつあった。ロボットは新宿駅南口を5分間隔で細菌をまき散らしながら散歩中。東京湾アクアラインは、かつて公共工事の利害調整のため、半分を橋梁、半分をトンネルにしたのだが、テロリストは公平に両方とも爆破した。まもなくオッチョが収監される。

 火災と細菌の被害者は、すでに5千人。これに対し、自衛隊はロボットを半径1キロで包囲して配備完了。在日米軍もスタンバイOK。総理は誰がモデルなのか一目瞭然だが、まあとにかく優柔不断で、手の怪我を気にするばかり。そこに自衛隊のヘリから厄介な報告が入った。巨大ロボットの「つむじ」の辺りに、放射能マークが描かれていることが判明。


 1980年代の終わりごろ、ロサンゼルスでロックを聴きながら働いていた私は、ジミー・ペイジとポール・ロジャーズというコンビが発表したアルバムを、カセットで買って聴いていたことがある。その中に「Radioactive」というタイトルの曲があったのだが、日本語の歌詞カードなどないし意味も分からず放っておいたが、これは「放射能」です。

 2011年、今年ほど日本人が放射性物質について詳しくなったことはあるまい。これが最初で最後になることを、心から祈るばかりである。それにしても、日本の支配者階級、エスタブリッシュメントと呼べば恰好いいが、政治家も官僚も学者も財界も、大手報道機関も有識者とやらも、これほどみな原発大好きとは恐れ入った。よほど儲かるのだろう。


 「専門家」は現時点でも意見が割れて議論が盛んだが、仮に日本の原発が全て廃炉になったら、彼らは原発の推進・反対の立場を問わず、大半が職を失う。だから、いつまでも学者や技術者たちはディベートを続けていくことだろう。少なくとも、国家予算が尽きるか、次の事故が起きるなどして黙らざるを得なくなるまでは。

 それほどまでに、今回の原発事故は、事故そのものに加えて、国家の危機管理を責務とする人々のほとんどが、何の責任感も倫理も持ち合わせておらず、廃棄物処理の技術も場所もなく、民主主義の根幹たる情報公開の大原則を根底から無視し、恬として恥じる気配がないことを満天下に知らしめた。同朋からどれだけ犠牲者が出ても関係ないのだ。


 一字一句覚えているわけではないが、サルトルはこんなふうに言ったらしい。「自分の判断は、人類の判断だ」と。こんな国にしたのは私である。したがって、私自身は放射性物質を浴びても文句は言えず、実際に東京にも、見えない、聞こえない、臭わない、味もしない、触ることもできない何かが降り注いでいる中で暮らしている。

 問題はこの事態に責任が一切ない20歳未満の被害者たちをどうするかだろう。時間と段取りが必要だろうが、私はもうこの国から原子力発電は消えて構わないと考えている。ただし、その代償は怖い。

 電力不足は、経済活動と家庭生活の両方を容赦なく襲うはずである。ほとんど原発がなかった時代の生産水準、生活水準に戻るに違いない。エアコンも電子レンジもなく、蠅や蚊と暮らしていた時代に戻る。その覚悟ができるかどうかだろうと思う。でも国会も新聞も、そういう議論を全くしていない様子である。がん細胞は本体を倒し、自らも滅ぶ。


 本格科学冒険漫画「20世紀少年」は、第15巻の最後の場面以降、2015年のウィルス兵器攻撃により破滅した後の日本が舞台となる。そこに再現されている東京の街並みは、私が少年のころの日本と同じ程度の文明水準であろう。カラーテレビも水洗トイレも、スイッチ一つで湯が湧く風呂も湯沸かし器もなかった。何より冬は恐ろしく寒い。

 平均寿命がその当時の長さに戻るころ、長生きすれば私も貧しい老後を迎えているだろうが、なんせ貧乏には慣れているし、多少の辛さは我慢してでも、意地を張って惨めに死んでいくほかない。

 若い連中は、我欲満載の中高年を道連れに理不尽な心中をしたくないならば、自分の頭で考えて自分の体を動かして生きていくほかはない。古い船をいま動かせるのは、古い水夫じゃないだろう、と拓郎も言っている。無責任と非難されようと、私にはこれ以上のことは言えない。


(この稿おわり)



ぺリコプターと飛行機雲が摺れ違ったところ。(2011年11月17日撮影)