おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

よげんの書 (一)      (20世紀少年 第144回)

 第5巻の第4話は「のろし」。61ページ目に「よげんの書」が初めて、まとまった形で出てくる。ケンヂが焼土と化した自宅兼コンビニ店の庭から掘り出して、地下まで持ってきたものだ。

 よげんの書は、スケッチ・ブックに書かれているのであろう(第3巻の100ページで、フクベエもそう回想している)。穴がたくさん空いていて、一枚ずつ破りやすくできているものです。

 手元のアスクル株式会社の商品カタログによれば、リング・ノートという種類らしい。例えばその穴が40個、空いていれば、「40穴」というような商品名になる。その表紙は、「よげんの書」とのみ書かれており、その殆どが現存している。引用して、中身を復習します。


 20せいきのおわりに、悪のそしきが せかいせいふくに うごきだしました。

 おそらくケンヂが言いだしっぺになり、「悪のそしきが」という箇所まで書いたところで早くも行き詰ったため、少年達が編集会議を開催しているシーンが、第2巻の189ページに出てきた。1969年の夏である。

 ここで「だけどさ、悪の組織って何するわけ?」という動議があり、オッチョの提案により、世界征服に決まった。毎日夏休み、宿題なしという「ゲゲゲの鬼太郎」的な世界を実現する夢だった。


 かれらはさいしょに、たいへんおそろしい さいきんへいきで サンフランシスコとロンドンをおそいました。

 これも、同じ会議で決まった。細菌兵器は落合君が山根君の発想を拝借したもの。最初の犠牲となったサンフランシスコとロンドンを選んだのはケンヂであり、その理由は「くだらなすぎて言えねえ」ものであった。

 ちなみに「よげんの書」は文章のみならず挿絵つきであるが、この場面で細菌をばらまいているのは、目玉のついた紙飛行機の化け物のような飛行物体である。ともだちは、これの製造が間に合わず、人力で犯行に及んだ。


 次にかれらが さいきんをばらまいたのは、1970年 バンパクで有名な大阪です。日本中がきょうふにふるえあがりました。

 ケンヂが大阪を選んだのは、第3巻70ページ目によると「東京はまだ早いな」であった。また、おそらくケンヂがバンパクからの連想で大阪に決めたのであろう。彼は、第16巻の第2話で、フクベエ少年の作文に出てくる万博を「マンハク」と読んで、フクベエに笑われている。

 ケンヂはこのときに「バンパク」という読み方や、そもそも万博とは何かをを教わっているが、1969年のことで、長袖だから4年生の3学期か、5年生の1学期。「よげんの書」が書かれる少し前なので、タイミングはぴったり合っている。すなわち、よげんの書に基づく大阪の被災は、ケンヂとフクベエの共同制作によると言っても良い。つづく。


(この稿おわり)



10月下旬なのに、まだヒマワリが咲いている。
(2011年10月25日、江東区にて撮影)



それを盗む輩もいるらしい。古来、花盗人は無罪である。(撮影は同上)