おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

大リーグボール二号 (後半)    (20世紀少年 第133回)

 オッチョに、発見者になったら英雄だとそそのかされたケンヂは、早くも逃げ腰のヨシツネとマルオに、3分たって出て来なかったら人を呼んでくれと言い残して冒険の旅に出た。

 ウルトラマンとて3分たったら死んじまうぞというマルオのコメントが良い。あっしにはかかわりのないことでござんす、というヨシツネの言葉は当時の流行文句で、「木枯し紋次郎」の決め台詞だ。リアリティーを感じさせる良質の時代劇だった。

 洞窟の中は真の闇で何も見えない。「誰かいませんか」という質問ぶりには、オッチョの育ちの良さを感じるが、返って来たのは先ず木霊であり、続いて、彼らが使っていたらしい軟式の野球ボールが、ツー・バウンドで戻ってきた。これは怖い。二人が悲鳴を上げて逃げだすのも当然である。「これ以来」、ケンヂは暗い所が苦手になった。


 私も野球が好きだったが、小学校4年生のときだったか、事故があって学校は野球を禁止してしまった。もちろん、わしらは止めなかったが、校庭が使えなくなって不便であった。ちなみに、その事故の現場には私もいた。同級生が不用意に振りまわしたバットが、2歳ほど年上の近所の嫌な小僧の顔に当たった。

 大した怪我もなく、ただ泣かせただけというトラブルだったのに。もちろん、当たりどころが悪ければ大怪我したかもしれないが、それはそれ、子供の遊びというものに怪我は付き物である。


 最後に、大リーグボールニ号について。解説するまでもないと思うのだが(そうでもないかな)、「巨人の星」の主人公で読売ジャイアンツの投手となった星飛雄馬という男が、球質が軽くてプロでは通用しないため、窮鼠猫を噛むがごとくして編み出した変な変化球である。大リーグボールという命名が時代を感じさせる。

 大リーグボールは一号から三号まであり、いずれも物理原則を根底から無視した魔球であった。なんせ第一号は勝手にバットに当たるし、第三号はバットに当たらないように逃げる。しかし、子供たちに与えた衝撃の大きさからすれば、なんと言っても傑作は第二号であった。消える魔球。これを売り物にした野球盤まで売りに出された。


 大ルーグボールニ号が消える根拠については、ここに詳述はしない。でもケンヂ少年の努力と見栄を無視する訳にもいかないのでわずかに触れれば、消える魔球は保護色の原理を使っている。

 ケンヂが真似しているように、投手が投球モーションの際に足を高々と上げるのは、それによってマウンド周囲の砂を巻き上げてボールに付着せしめ、忍法みじん隠れの要領で消えるらしい。


 私にとっての「巨人の星」のクライマックスは、花形満が大リーグボール一号をレフト・スタンドに叩きこんだ場面である。技巧や小細工を超えた世界が、そこにはあった。感情移入も必要なかった。

 今回のブログ、今回はT-REXベスト・アルバムを聴きながら書いている。もちろん「20世紀少年」も収録されている。20年前にアメリカで買ったカセット・テープだが、動画サイトなどより、ずっとシャープで素敵な音楽を聴くことができる。


(この稿おわり)



夕顔と朝顔の競演。(2011年10月10日)