おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

チベット     (20世紀少年 第115回)

 今回は取りとめのないことを書く。これまでも何回か、”ともだち”とオウム真理教が、どことなく似ているということを書いたが、それについては、いつかしっかりまとめて書いてみたい。まだ準備不足。だが、オッチョがチベットに行くと言っていたので、この時点で多少の思い付きなどを書き遺しておきたい。

 浦沢直樹さんは「20世紀少年」の構想を練るにあたり、村上春樹著「約束された場所で」をお読みになったのではないかと想像している。村上さんのこの著作は、副題が「underground 2」となっていることからも分かるように、地下鉄サリン事件を取り扱ったものだ。

 そう思わざるを得ないほど、同書の中で元信者たちが村上さんに語っている用語やものの考え方が、ともだち一派の言葉づかいとそっくりなものがたくさんあるのだ。この辺りが妙に気になる一因は、当時オウム世代と呼ばれた、主に昭和30年代に生まれた世代に、私自身も属するからだろう。


 前作の「アンダーグラウンド」で、サリンの被害に遭った方々に取材した記録を世に送り出した村上春樹は、「約束された場所で」において、今度は逆に、事件当時にオウム真理教の信者だった人々から話を聴いている。その中に一箇所だけ、チベットという言葉が出て来る。信者からではなく、質問者たる村上さんの発言である。引用します。

 「チベット密教の修行はグルと弟子との一対一の関係、絶対帰依として進んでいくということですよね」。前後の文脈は省き、ここに出てくる言葉に着目する。まず、「グル」というのはチベット密教の用語ではなく、古代インドのサンスクリット語で、先生、指導者、尊敬する人というような意味です。

 私はこの言葉をビートルズの「Across the Universe」で知った。歌詞の翻訳では「ヒンドゥー教の導師」となっていた記憶がある。後年、麻原が自分をグルとか尊師とか呼ばせて、この言葉の品位を下げに下げた。村上さんがここでグルという言葉を使ったのは、そう言えば質問を受ける側に分かりやすいと考えたのであろう。


 「絶対帰依」という言葉もかなり「きつい」印象を与えるが、密教などにおける「師質相承」を、これまた分かりやすく表現したものと思う。師質相承は、司馬遼太郎空海の風景」にも出て来る。密教は経典や解説書を読んだだけでは理解できないものとされ、師の指導を受けなければ正しい教えを身につけることはできない。オッチョも師についた。

 最後に「チベット密教」という言葉である。「広辞苑」(第六版)には「チベット密教」という項がないが、代わりに「チベット仏教」ならある。すなわち、「仏教の一派。吐蕃王国時代にインドからチベットに伝わった大乗仏教密教の混合形態」であるらしい。


 ところで、「空海の風景」にも一箇所だけ、チベットという言葉が出て来る。密教チベットに入って変質したと書かれている。これだけなので、どう変質したかは本文だけでは分からないが、あとがきに多少、詳しく書かれている。長くなったので以下次号。


(この稿おわり)


メダカの写真を撮るのは、けっこう難しい。 (2011年9月6日撮影)