おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

オッチョの師匠     (20世紀少年 第114回)

 オッチョの師匠は、第4巻第2話「逃走」の冒頭、25ページ目に初出場する。といっても、わずか3ページで、「待ってください」とオッチョ、「なぜついてくる」、「何を苦しんでおる」という言葉を交わしたのみ。師は高齢の男で、僧形である。場所ははっきり分からないが、タイ国内の山林だろうか。

 絵はモノクロだが、師が身にまとっている袈裟は、濃い黄色か橙色であろう。南方仏教とも上座部とも呼ばれる仏教の出家者の衣装で、東南アジアの仏教国では至るところで、こういう姿の僧侶を見かける。オッチョは顔中を涙と鼻水で濡らしており、山中というのにワイシャツとネクタイのままだ。会社を辞めて、そのまま彷徨っていたのか。


 次の登場は40ページ目。1ページだけのシーンで、オッチョは棒で立木を叩いているのだが、師匠は「まだまだお前は死んどる。その木がお前の過去だ。それを断ち切らねば、本当の生は得られん」と厳しい(なぜ関西弁なのだろうか)。このようにして、オッチョは棒術を習ったようだ。戦闘用ではなく、己の過去を切り刻むため。

 お次は46ページ目。「強くなりたい」と叫びながら、オッチョは手当たりしだいに、棒で何かを殴りつけている。はては仏像の頭まで叩いているのだが、師はたしなめようともしない。大丈夫か。法難が彼らを襲う心配はないのであろうか。続いて53ページでは、助けたメイに強いと誉められたショーグンが、俺が凄いんじゃなくて師匠が凄いんだと思い出を語る。


 「ジャングルの中で会った坊さん」は、力尽きて倒れたオッチョに「もうお終いかい、アリンコ」と語りかける。アリンコが、どうやったら強くなれるかと尋ねたところ、師いわく、「強いとは弱さを知ること。弱さとは臆病であること。臆病とは『大事なものを持っているということ』。大事なものを持っているということは強いということ」らしい。

 たまには師匠らしいことも言うようですが、そのあとオッチョは、腹が減ったならバッタでも食ってろとか、ほとんど騙されて毒キノコを食わされたりとか、河底深くに突き落とされたりとか、およそ仏道の伝授とは程遠いとしか思えない仕打ちを受け続ける。そういえば、彼は宗教的な教えを授からなかったのだろうか。


 第2巻の86ページ、市原弁護士から仕入れたオッチョ情報を、ユキジがケンヂに伝えている場面が出て来る。タイでオッチョと知り合いだった競争相手の商社マンが、オッチョの事故・行方不明から約1年後に、インドで彼に偶然出会って、言葉を交わしたという。

 このときのオッチョの姿は師匠同様、南方仏教の僧の姿である。頭も剃っており、彼は出家したのだろうか。商社マンに行き先を尋ねられて、オッチョは「これから、チベットに行くんだ」と応えている。

 その後は何も描かれていないので、分かる範囲で彼の居住地を整理すれば、1988年までタイ、1989年にインド、その後おそらくチベット、そして2000年までには再びタイに戻っている。


 どうやらオッチョは仏の道に進まなかったらしい。もっとも、東南アジアでは、成年男子は一生のうちに何度か出家するのも珍しくなく、すなわち何かあると精進のような目的で短期的に出家することもあるので、わが国のように、基本的に一生、僧や尼として生きる(還俗という制度もあるが)という出家とは少し違う。

 だから、オッチョも出家してから何らかの用事を済ませて俗世間に戻ってきたのかもしれないし、あるいは修行の厳しさに耐えきれず脱落したのか、自分には合わないと知って決別したのか、その経緯はついにわからないまま、でも少なくとも、まともな社会人に戻ることなく、バンコクの暗黒街に身を沈めることになった。

 2000年のタイに戻る前に、もう1回だけ脱線をお許し願おう。チベット仏教についてである。


(この稿おわり)


何の花か、道路の脇に咲いている。 (2011年9月2日撮影)