第3巻の最終話「バンコクの男」から第4巻にかけて、オッチョは畏敬を込めて「ショーグン」と呼ばれる国籍不明の男として登場する。登場した途端に、外国人さんたちを殴るわ蹴るわの大騒ぎを起こしています。
彼がショーグンと名乗るか、そう呼ばれる場面は少なくて、3回しかない。最初がこの2000年のバンコク、次が2014年の海ほたるからの脱獄、最後が「21世紀少年」の終幕でバンコクに戻り、「伝説のショーグン」になるシーン。いずれも、ハードボイルドである。20世紀少年でいるときは、オッチョなのだ。
オッチョの登場場面から20年ほど前、私が学生時代の1980年ごろ、「SHOGUN」というアメリカのテレビ・ドラマが大人気となり、日本国がフジヤマとゲイシャ・ガールと、エコノミック・アニマルだけの国ではないことを満天下に知らしめた。ニンジャやスシが有名になるより早かったはずだ。
もっとも、「おしん」と同じように、「SHOGUN」が東南アジアなどでも大評判になったかどうかまで、私は知らない。一方で、タイやフィリピンは、昔から日本とは様々な交流があり、私と同郷の山田長政は江戸時代のシャムで出世して暗殺までされているので、将軍という言葉が知られていても、おかしくはないな。
ショーグンは正義の味方ではない。ハードボイルドは正義の味方である必要は、さらさらない。自らの「義」に生きるのみである。オッチョは依頼主の要望どおり、人質になっていた日本人旅行客を救出するが、その客から財布を没収するわ、クレジット・カードを1週間止めるなというわの言いたい放題、やりたい放題。
挙句の果てに「お前なんか、死んでもいい」と言い放っている(14歳の少女を買ったことを怒っているのだ)。おまけに、ローレックスの時計を没収して、マフィアの一人にくれてやっている。あとくされが無いように決着をつけたのだろう。それにしても、相手のリーダー格を、戦いながら一瞥で見分けるとは、尋常の喧嘩慣れの仕方ではない。
ただし、オッチョは無暗に人を殺したりはしない。この彼の戦い方については、梁山泊の英雄にも登場していただきつつ、次回に語ろう。
(この稿おわり)
わが家の睡蓮に、ようやく花が咲きました。 (2011年9月15日撮影)