おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

渋谷公会堂のクイーン     (20世紀少年 第82回)

 第3巻第3話「対決」。いよいよケンヂが、ともだちコンサート会場に現れる。敵の牙城に単身乗り込むとは天晴れではないか。コンサート会場では、マンザイやらコントやらが繰り広げられていて、周囲には大受けなのだが、ケンヂには面白くも何ともない。

 去年だったか、ダウンタウン松本人志がインタービュー記事の中でこんな話をしていたのを覚えている。世の中の出来事について語るとき、話題によっては彼も喋りながら腹が立ってくることがあって、本当に観客や共演者に向かって怒りをぶちまけることがあるのだという。

 ところが、客はそれでも笑う。幾ら本気で怒っても駄目なのだそうだ。お客は笑うためだけに金を払い時間を割いて来ているので、何を言っても笑ってしまう。落語もこういう客を嫌うらしい。若手の芸が育たないし、名人もやる気が出ない。

 どの巻だったか忘れたが、ハットリか万丈目の発言の中に、みんな何かを信じたくてきているので、何を見ても信じるんだという趣旨のものがあったと記憶しているが、ここでは、その「信じる」を「笑う」に置き換えたことが起きている。気分が悪くなってきたケンヂが、退席しようとしたところで、舞台では演奏が始まる。


 イギリスのロック・バンド「Queen」がデビューしたのは私が中学生のころで、私の周囲のロック・ファンからは、最初のうちベイ・シティー・ローラーズなどと一緒くたにされていた。BCR。今でいうビジュアル系で、中身のないもの。

 しかし、友人から「オペラ座のクイーン」という人を食ったタイトルのアルバムを借りて聴いたところ、なかなか良くて、しばらく返さずに聴いたものだ(録音装置なんて持っていなかったのです)。

 このアルバムには、今でも私の好きな「'39」、スタジオ録音バージョンの「Love of My Life」、大ヒットした「Bohemian Rhapsody」などが収録されている。後年、また聴きたくなってロサンゼルスの古レコード屋を捜しまわったところ、中古のCDを売っていた。なぜか「Made in West Germany」であった。今も本棚にある。


 好調な70年代が終わって80年代に入ってから、クイーンの人気は一旦、落ちたと思う。80年代の半ば、私が偶然、渋谷公会堂のすぐそばで夕食を終えて歩いていたとき、偶然、フレディ・マーキュリーの歌声が聞こえた。

 そのとき彼は「We are the Chanpions」を伸び伸びと歌っていたのだが、私は「クイーン、まだ、やっていたのか」と思ったのを記憶している。公会堂の入り口は開けっ放しで、門番も警備もおらず、入ろうと思えば入れたと思う。その後、彼らの人気は復活するのだが、フレディは当時、死に至る病だったエイズに倒れた。


 中野サンプラザでケンヂが聴かされた音楽は、「こんなものは、俺はロックとは呼ばない」という代物であった。ボーカリストと観客が連呼する、「愛! ロック! 友!」という掛け声は、たぶんクイーンの「We will Rock You」の真似っこであろう。おまけに「みんな手をつなご〜」などとやっている。

 客が乗れないのは、バンドの力不足というものである。しかし、この連中は乗っていない観客を「シャイ・ボーイ」と呼んでステージに引きずり出し、いじくり始める。最初は気の小さそうな青年だったが、二人目は、確かに乗っていなかったが、冷や汗をかいているケンヂを選んでしまったのである。火に油を注ぐことになった。




(この稿おわり)

私はサルスベリの花が大好きです。白が一番なんだが、取りあえず赤。(2011年8月撮影)




































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