おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

映画「Let It Be」     (20世紀少年 第79回)

 ケンヂやマルオやケロヨンのように、自宅で商売をやっている家や農家で生まれた子は、物心ついた頃から親が働いている姿を見て育つのだろう。だが、私のようにサラリーマンの家に生まれた場合、それは叶わない。大人の世界をのぞくためには、何らかの媒体を通じて世間で活躍している人たちの姿を追うことになる。

 私にとって、それは長嶋茂雄王貞治であったり、大鵬柏戸であったり、吉田拓郎中島みゆきであり、手塚治虫や数々の映画スターだったりした訳だが、一つだけ挙げよと言われたらザ・ビートルズである。私は中学生から高校にかけて、彼らが残した音楽、映像、言動の記録などに触れ、育ててもらい、楽しませてもらった。幸運この上ない。


 先輩のフランク・シナトラエルビス・プレスリーが非常に多くの映画に出演しているのに比べて、ビートルズは4人いるということもあろうし、バンドの活動期間が短かったということもあるが、講演やレコーディングの記録以外の映像は、それほど多くないと思う。

 劇場版映画は1963年の「A Hard day's Night」と1965年の「Help!」、ビートルズ最初の失敗とまで言われたテレビ用のフィルム、1967年の「Magical Mystery Tour」、最初で最後のアニメーション映画、1968年の「Yellow Submarine」、そして1970年の解散後に劇場公開された「Let It Be」(以上、順番には自信があるが、西暦は記憶頼り)。


 他はすべて、「マジカル・ミステリ・ツアー」でさえビデオになったのに、私の知る限り「Let It Be」だけは未だにCDやブルーレイになっていない。出来具合という意味では商品価値は低いかもしれないが、若いファンは観たかろう。なぜなんだろうな。私は映画館で1回、テレビで数回、観ている。

 もっとも、映画館ではロードショーではなく(1970年では私はまだ小学生でビートルズ音楽をほとんど知らない)、名画座(素敵なシステムだったのに、今はもうないな)で観たはずだ。内容は大雑把にいうと、前半がスタジオ録音の記録で、後半がロンドンのアップル社の屋上で行われたライブの映像である。


 この映画は、欧米の評論家から「ここにあるのは、かつての冒険者たちの、無残ななれの果ての姿に過ぎない」という酷評を受けた程に、ポール・マッカートニー以外のメンバーには、てんでやる気が無く、おそろしく散漫な出来栄えである。ジョン・レノンはサンフランシスコで観て「泣いた」と語っていた記憶がある。

 地球を救うために立ち上がったケンヂが、姉ちゃんのギターを担ぎ出し、深夜にカンナまで叩き起こすほどの大音響で演奏しているとき、彼が思い出しているのがこの屋上のライブで、スコットランドヤードのおまわりさんまで観客に引き入れての大騒ぎになった。


 ただし、ケンヂが演奏しているのは、おそらく「Get Back」のような軽快なナンバーでも、「Don't Let Me Down」のようなスロー・バラードでもあるまい。このシーンに似合いそうなのは、ストーンズの「Street Fighting Man」か、ビートルズ・ナンバーなら「Helter Skelter」か。

 この「ヘルター・スケルター」が入っているのは、1968年発表の真っ白なジャケットの2枚組アルバム「The Beatles」。その評判は騒々しい曲が多いとか、ふざけた作品が多いとか、非難する人も少なくない。

 だが、「無人島に何か一つ持って行けるとしたら何を選ぶか?」というお馴染みの質問に対し、ジョン・クーガー・メレンキャンプはこう答えている。「ホワイト・アルバム」と。私はド近眼なので、眼鏡を選ぼうと思う。ともあれ、お姉ちゃんのギターも、明け方には弦が切れて使い物にならなくなった。ケンジの長い戦いが始まろうとしている。


(この稿おわり)


クワガタムシのメスは種類が判別し辛い。コクワガタにしては大きいか?
英語は虫の名前に鈍感で、小さなコガネムシもビートルと呼ぶ。
(2011年7月16日撮影)