今年の春、イーグルズが日本公演にやってきて、東京ドームでのコンサートに行く機会があった。感想を一言で述べれば、みなさん、お元気で何よりといったところです。
ドン・ヘンリーがソロで出した「The Boys of Summer」という曲は、カリフォルニア在住時代からの私のお気に入りで、今回、これを彼が唄ってくれたのが嬉しかった。
ネット上で「Boys of Summer」の検索をすると、上位のほとんどは、ドン・ヘンリーあるいは別の誰かがカバーした、この曲の関連サイトなのだが、ずっと下位の方まで進むと、ロジャー・カーンという人が昔、書いた本の題名として出て来る。
著者が生まれ育ったブルックリンの思い出話が中心で、ドジャーズも登場する。この球団は、今はLAを本拠地としているが、昔はNYにあったのだ。
この本に出てくる当時のドジャーズの主力選手の中に、ジャッキー・ロビンソンの名もある。黒人初のアメリカ・メイジャー・リーグ・プレイヤー。壮絶な人種差別に遭ったらしいが、歴史に名を残す野球選手になった。
そして、この本のタイトルは、英国はウェールズ出身の詩人、ディラン・トマスの「I see the boys of summer」という詩に由来する。
この詩の全体をお読みになりたければ、ディラン・トマスの名とこの詩のタイトルを英語で検索すればサイトが幾つか出て来るが、私が一通り探した範囲では、日本語に翻訳されたものはサイバーネット空間にはない。
紙の書籍ならあるが、古本屋でも、えらく高価である。そして詩の訳は苦手。このため詩の訳の一部分だけを、ある本から孫引きさせてもらいます。
その引用元の本とは、哲学者・中島義道氏の「哲学の教科書」(講談社学術文庫)です。第二章「哲学とは何でないか」という、いかにも中島先生らしい章名が付いている文中に、この詩の一部が訳されて載っている。
同書では、まず、その箇所の直前に、トマスの別の詩が紹介されている。その詩についての先生の評として、「この少年は周囲の平凡な日常世界を、あたかも世界の創造の場面を観察するような驚きの目で眺めている。その態度を、私は極めて哲学的だを思うのです。」という叙述がある。
それに続いて「夏の少年」が引用されているのだが、「大人になるということはこうした驚きをわすれてゆくことなのです」という、物悲しい前置きがある。私自身に向けられた言葉のような気がする。
ぼくはみる 荒んだ夏の少年たちが
黄金の麦束を並べては不毛にし
収穫による蓄えもなしに 大地を凍らすのを
・・・・・・
ぼくはみる この少年たちが
種子の移り変わりを重ねながら つまらぬ男にそだってゆくのを
・・・・・・
「20世紀少年」の第1巻、192ページ目において、少年のころ秘密基地に埋めた缶を掘り起こしたモンちゃん、ヨシツネ、ケロヨン、マルオ、ケンヂの5人は、当時の記憶がようやく蘇る中、飲み会の酔いも覚めた面持ちで、ドンキーがこしらえた旗を見つめながら声もない。
ケンヂのものらしき心境が語られる。「”次にこれを掘り起こす時は、俺たちが、敵から地球の平和を守る時だ・・・」。そして、「俺たちは今、あのころ夢見たような大人になっているだろうか・・・。今の俺たちを見て、あの頃の俺たちは笑うだろうか」。
この作品の少年たちの活躍シーンは、ほとんどが夏であった。蛙帝国と忍者部隊の戦い、秘密基地の完成、ジャリ穴の騒動、理科室の夜、アポロ11号の月面着陸、双子との対決、そして大阪万博...。
されど、20世紀の夏の少年たちは、出土した缶のマークをきっかけに思い出した自分たちの過去と、現在の不気味な出来事の間に奇妙な共通点を見いだして、途方にくれている。
つまらぬ男に育ったままで終わるのか、それはこれからのお楽しみというものです。ところで、浦沢さんは、ボブ・ディランの大ファンでいらっしゃると聞く。
本名はロバート・ジンママンという男の芸名が、ボブ・ディランである理由については、いろんな説があるそうなのだが、中でも有力なのは、このディラン・トマスから頂戴したものだという。
(この稿おわり)
夏のハイビスカス (2011年7月11日撮影)
もう一つ写真おまけ。
沖縄は久米島、はての浜にて。 (2011年7月15日撮影)
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