おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

秘密基地     (20世紀少年 第16回)

 
 第1巻31ページ目。誰が描いたか敷島家の柱に残る、ともだちマークを眺めながら、ケンヂが「何だっけ、このマーク...」と首をかしげているシーンに続いて、時代は1969年に遡る。

 1969年の夏は、ケンヂたちが10歳になる年のことだから、彼らは小学校4年生である。何年生のときの出来事か、というのは後に重要なテーマとなるのだが、ここでは学年の設定は大きな問題ではないので、いずれまた触れよう。

 この作品全体において、「過去」の場面は、(1)作品中においては本当にあったこととして作者が描いている過去、(2)登場人物の誰かの回想シーン、(3)ヴァーチャル・アトラクションの中の、どうやら一部ゆがんだ過去の姿、の3種が描かれているので、その区別を意識して読まないと訳が分からなくなるおそれがある。


 この1969年の秘密基地のシーンはケンヂの回想ではなく、上記(1)の作品内で実際にあった過去である。なぜなら、この場面が終わった後も、彼はともだちマークの由来を思い出せないでいるのだから。

 ここでは秘密基地の登場人物は4人の少年であるが、お互い名前を呼ばないし、この時点ではまだヨシツネとオッチョは登場していないので、初めて読んだときは「この丸い男の子はマルオの少年時代だろうか」という程度の想像しか働かなかったのを覚えている。


 この秘密基地は誰が発案し、誰が作ったのかは良く分からない。もっとも、ヴァーチャル・アトラクションの中ながら、少年のヨシツネが初老のヨシツネに、あいつらみたいに上手くは作れないと語っているので、これを真に受ければ多分ケンヂやオッチョの作品だろう。もっとも、31ページ以降のケンヂは、ひたすら両目と口をぽっかり開けて感心してばかりなので、どうやらオッチョの主導によるものではないか。

 実際、ここで何をするかについて、一番、明確なビジョンを持っているのはオッチョであり(ラジオと平凡パンチの持ち込みです)、それに引きずられてマルオとヨシツネはマンガ読み放題の計画に夢中になり、ケンヂに至っては「グループサウンズ(懐かしい...)聞きまくりだ」という水準にとどまっている。


 私も彼らと同じ歳のころ、基地を作った。自分たちの独創だと思っていたのに、大人になって情報交換してみたら、田舎で生まれ育った少年たちはみな全国至るところで基地を作っていたことが分かった。

 ちなみに私たちの場合は、近所の雑木林に枝で作った刀を仕舞っておく基地と、実家の押し入れの中に箱やらおもちゃやら持ち込んだだけという内緒の基地であった。草を結んで天井をつくる、などという典雅な方法は思いつかなかった。うらやましい。

 基地の防衛の工夫もなかなかのもので、秘密の道もあれば、草を縛った仕掛け罠もある。マルオはこの罠に三回も引っ掛かったと言って、ケンヂに馬鹿にされているのだが、このときの会話はのちに「21世紀少年」の下巻で描かれる人類滅亡の危機に際して、ケンヂの脳裏をよぎることになる。


 なお、施設の名称について、最初はヨシツネが「隠れ家」と呼んだのを、オッチョが「隠れ家というより、基地だ」と修正案を提出し可決された。確かに、基地といえば軍事基地とか南極の観測基地とか、男が命がけで積極的な事業を営む舞台の名としてふさわしい。しかし、残念ながら初日に限っては、ヤン坊マー坊の急接近があり、折角の基地もいきなり隠れ家に逆戻りしてしまうのであった。つづく。


(この稿おわり)


































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