おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

戦後レジームとポツダム宣言 【前半】  (第1324回)

 現総理(2016年8月現在)の主張する「戦後レジームからの脱却」がどれほど重要なのか、そもそも戦後レジームという聞きなれない言葉の意味するところは何なのか。こういう総論的なことは、もう少し早めに考えを整理しておいたほうが良かったのだろうが、今さらどうしようもなく、遅まきながら今回と次回のテーマとします。

 直観的に、第9条が関わることは間違いなさそうだと思うので、これ以上の遅刻はだめなのだ。さて、今もネットに残る公的な情報としては、首相官邸のサイトにある平成19年(西暦2007年)1月26日付の資料「第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」がある。
http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/01/26sisei.html


 政権交代前の通常国会での演説で、少し前のものだ。だが、今年1月の第190回の演説は、経済政策中心で憲法関係は最後のほうに「国のかたちを決める憲法改正」と出てくるだけ。今次の参院選も先述のように改憲の訴えは避けているので、多少古くても仕方がない。ということで、第166回の演説の冒頭挨拶に続く部分を引用する。

 私は、日本を、21世紀の国際社会において新たな模範となる国にしたい、と考えます。 そのためには、終戦後の焼け跡から出発して、先輩方が築き上げてきた、輝かしい戦後の日本の成功モデルに安住してはなりません。憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らかです。我々が直面している様々な変化は、私が生まれ育った時代、すなわち、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器ともてはやされていた時代にはおよそ想像もつかなかったものばかりです。 今こそ、これらの戦後レジームを、原点にさかのぼって大胆に見直し、新たな船出をすべきときが来ています。「美しい国、日本」の実現に向けて、次の50年、100年の時代の荒波に耐えうる新たな国家像を描いていくことこそが私の使命であります。


 太字は私の判断で強調しました。二か所あり、最初の部分(憲法を頂点とした...)が「戦後レジーム」であり、後段でそれからの脱却を宣言しているものとみて間違いなかろう。さらに言えば、それらの前にある「終戦後の焼け跡から出発して、先輩方が築き上げてきた、輝かしい戦後の日本の成功モデル」も、戦後レジームの言い換えなのだろう。かつては良かったけれど、今は邪魔。

 「憲法を頂点」とするレジームであると言いきってみえる。この憲法を変えなければ、「基本的枠組みの多く」も変えられないというのは、単なる手順としてなら正しい。あとは、憲法を上手く変えられるのか、また、憲法を変えれば他も上手く変わるのかという中身と見通しの問題だ。成功するためには、先は長い。でも事が事だけに、すぐに失敗するおそれはある。


 心配も程々にして、この如何にも「憲法が押し付けられた」という感じの前提に大人しく従うとして、なんぼ敗戦国でも憲法まで一方的に押し付けられた(あるいは、他も含めて強要された)というほどの力の源泉は、どこから来たのかを調べておいて損は無いような気がする。明日は8月15日。それに相応しいときだろう。

 国立国会図書館の当時の文書を眺めると、ポツダム宣言の受諾は私が信じ込んでいた1945年の8月15日ではなくて、その前日の14日に昭和天皇詔書が出て、連合国側の4か国に通告されている。外交上、休戦への第一歩は今日の日付の14日だ。それでも、15日が「終戦の日」になっているのは、玉音放送の影響が如何に大きかったかを示す。


 このポツダム宣言関連のネット情報を斜め読みしていくと、日本の降伏が無条件だったか、そうでなかったか(有条件なんて言葉があるのか)、私にとっては「今さら」という感じなのだが、どうやら「今だからこそ」という調子で力が入っているらしい。

 同宣言の原文は英語のほうだろう。苦労して元敵性言語を読むのも大変なのだが、青春の何年かを費やして覚えなければならなかった言語なのだから、元を取らねば損だ。東京大学のサイトから拝借します。

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450726.D1E.htmlwww.ioc.u-tokyo.ac.jp



 全13条。アメリカ、イギリス、中華民国の3か国による共同発表の形をとった文書である。第1条は、日本に停戦の機会を与えてやることにしたという恩着せがましいもの。第2条から第4条までは、わかりやすくいうと脅迫。言うこと聞かないと滅亡するぞということで、我が幼少時のテレビでは、悪の宇宙人の決めゼリフであった。

 第5条が条件提示の前置きである。残りがその各条件らしきもので、これらが無条件降伏なのか否かの論点の一つになっている。「無条件降伏」を表す英語は、最終条に出てくる「unconditional surrender」なのだが、第5条では「条件」にあたる単語として「terms」という言葉が使われている。


 仕事柄、三十代から四十代にかけて何十件か、あるいは何百件の英文契約書を読まされたのだが、「Terms and Conditions」という決まり文句には、いつも往生した。重要な決定事項と事実関係が最初に簡潔に記されていて、そのあとから保険証書のごとく、細かいことが延々と書かれている。これが「履行条件」とか「規約」とか訳される代物。

 タームズとコンディションズは、だいたい同じような意味だと思うが、辞書によると「terms」には合意事項という意味も含まれている。ポツダム宣言の場合、合意の主体者にはもちろん日本は含まれておらず、第1条で明らかなとおり、上記の3か国が「これで行こうぜ」と合意した内容でもある。


 ちなみに、ポツダム宣言の「条件」の条文には、英文だと憲法同様「shall」が多くて、「これを達成したらお望み通りに致します」というような柔和な条件提示ばかりではない。むしろ、国家体制を変えなかったら、ただではおかんという論調になっている。これが押し付けられた戦後レジームの始まりということなのだろう。

 力関係に差があるとき、申し渡す方にとってみれば「条件」であっても、言われた方にしてみれば「要求」である。現金3千万円を電話ボックスに置けというのは、誘拐犯にとっては人質解放の条件であるが(守られるとは限らないし、それだけで十分条件とも限らない)、家族にとってみれば身代金の要求である。

 
 各条に移る。第6条は戦争を主導した権力者や組織は「永久に根絶」すべしという、シロアリ退治の宣伝文句のような断固たる「要求」で、これは日本が応じるべき「条件」ではなく宣告だ。実際、東京裁判公職追放財閥解体、農地改革と、占領軍の思いのままにされた。ここでの趣旨は「黙っていろ」ということでございましょう。

 第7条がそれを示している。第6条の成果に満足するまで占領すると言っている。第8条は領土に関するもので、カイロ宣言からの継続性を確認し、本州・北海道・九州・四国および「われわれが決めた小さな島々」。例えばグアムは没収されて、今日に至るまでアメリカ領。そこまでやるなら、「小さな島々」が何なのかを決める責任も、ちゃんと最後まで果たすべきだろう。

 第8条は、武装解除。これ自体は大戦争に負けた以上、甘受するほかないのだが、条文によれば兵隊も軍属も海外住まいの民間人も、みんなうちに帰って平和に働けるはずだった。もちろん、ことはそんなに甘くなかった。戦争の醜さは、往々にして戦後に噴出し露見する。長くなりましたので、後半は明日に致します。それにしても、日本が「21世紀の国際社会において新たな模範となる国」になるなら望外の喜びでございます。





(おわり) 



近所の桔梗
































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